ヴィパッサナー瞑想との出会い1
元々私は日系大手企業の駐在員として、
東南アジアを中心に約15年程海外駐在しておりました。
最初の赴任地はインドネシア・ジャカルタで、
1996年頃にはジャカルタ入りしてました。
当時ジャカルタはまだまだ東南アジアの田舎町といった風情で、
盤石のスハルトの超長期政権はこの世の春を謳歌しており、
インドネシアに進出している日系企業は建設や自動車を中心に
今とは比べ物にならないほど豪華で元気でした。
まだ1ドル未満で生活している貧困層が多い中で
私達駐在員の生活は軒並み贅沢だったと思います。
なに不自由ない大きな家に住み
お手伝いさんや運転手さんもいる。
なかにはコックさんを別途やとっている方もいました。
オシャレなところでは
プール付きの家に住んでらっしゃる
大手企業の社長さんやそのご家族では、
奥様などが
インドネシア人の運転手兼ボディーガードに付き添われ
ジャカルタの高級デパートで
持ちきれないほどの買い物袋を抱え
優雅にクーラーのきいた快適な空間を闊歩する。
そんな90年代後半のジャカルタの日常的な風景を思い出します。
貧しい現地の方はといえば、
高級デパートのすぐ裏にはスラムの様な掘っ立て小屋があり、
熱くて不衛生な中で小さなお子さんを懸命に育てたりしていました。
お給料はおよそ日本円にして¥3万円以下の方が多かったと記憶してます。
現地の貧しい方々をよそ眼に、
なんの実績もない、
なんの人としての徳も無い、
単に日本にうまれただけの若造である私が、
自分を特別な存在だと勘違いする多くの日本人達の一人になるには、
当時のジャカルタではさほど時間はかかりませんでした。
これからもこの最高の日々である
我が世の春は続いて行く!
未来永劫に!
と
そんなふうに東南アジアの島国の隅っこで無邪気に考えていた90年代後半。
そして人生がそれを許すわけが無い事を痛感する日々がほどなく訪れるのです(続く)
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